音楽的断章 ー いくつかの私見

大野眞嗣

3.音楽を味わうということ

上手く弾いているのに、何か物足りない。私自身、生徒たちの演奏を聴いたあとに、私の心に何も残らないといった経験が多々あります。その原因は一律ではなく、様々なことから起因していると推察されます。

しかしながら、底流には、ひとつの要因があると感じられることが多々あります。概略的にいえば、それは、演奏者自身が、その作曲家や作品に対して感じていないことであり、また、自分の演奏している、現実に出しているピアノの響きを聴いていないことなのだと思います。つまり、音楽を味わっていないのです。

食事を例にとるなら、美味い料理を美味いと感じず食べるようなものではないでしょうか。グルメを気取って、名産地から材料を取り寄せること、一流と言われる料理人の料理であることで、ありがたく感じること、もしくは、テーブルマナーに気をとられ、味わうことができないということと似ているのではないかと思います。人間本来の味覚を忘れてしまっている状態といえます。

音楽を味わうということが、演奏するという行為の中で、重要なことのひとつだと思います。例えば、ショパンを代表として大多数の作曲家の作品の大部分には、作曲家自身の心の叫びが音符になって書き表されていると思いますので、演奏者自身が、それを汲み取って、作曲家の心の叫びを演奏に投影させることが必要です。

さらに、主観的に味わうということに、客観性を加えることによって、味わいがいっそう深まります。ハイドンやリストの作品の一部は、舞台演劇の性格が強いように感じます。その場合、演奏者はそれぞれの登場人物のキャラクターを感じつつ、舞台監督や演出家といった、客観的な立場の感覚も大きな比重を占めることになるのではないでしょうか。

 


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