佐野川延子 先生(東京都立芸術高校講師)
今までのピアノ人生において、たくさんの方々との出会いと暖かいご支援に支えられたことにより、今日があると痛感しています。とりわけピアノの恩師である諸先生方の影響はとても大きいと思います。それはピアノという範囲にとどまらず、私自身の感性や思考、人格形成にまで及んでいます。
日本において、子供のころより留学するまでの10年以上の長い年月の間、さまざまな経験をし、時には戸惑ったり、辛いことも多かったのですが、それは私自身がまだ未熟だったためで、今ではそのようなことも含め、全て貴重で大切なことに感じます。
なかでも、12歳から留学するまでご指導いただいた佐野川延子先生。毎回のレッスンは妥協を許さない厳格なもので、ピアノを趣味としてではなく、専門的に学ぶという節目になりました。まだ子供だった私にとって、1人の大人である先生とピアノを通して真剣に向かい合うということは、緊張と戸惑いの連続でしたが、月日とともに私が成長するにつれ、関係は微妙に変化し、留学するころには1人の芸術家として尊重してくださるようになったように感じます。先生の厳しさの中には、同時に深く暖かい優しさが存在し、特にコンクールや大学入試という高いハードルを乗り越えなくてはならないとき、いつも生徒と共にご自身のことのように一生懸命にご指導いただきました。
そして留学から帰国し、途方にくれている私に対して、色々な形で仕事をお世話くださり、それをきっかけとして、今の私があると言っても過言ではありません。
中島 和彦 先生(昭和音楽大学教授、桐朋学園大学講師)
中島先生のお宅に初めて伺ったのは、高校3年の時でした。初めてということもありましたが、その後4年間お世話になっている間は、1度たりとも気の緩むようなレッスンはありませんでした。多分、先生ご自身、とても繊細な方だとお見受けしましたが、いつも緊張感に満ち溢れた厳しいレッスンでした。
当時、先生のお宅には、学校を問わず、たくさんの生徒たちが、先生を慕って来ていました。私を除き、本当に優秀な生徒たちであふれていたのです。そんなハードな状況の下、レッスンを受けるということは、当時の私にとって、本当に辛いことでしたが、反面、精神的に鍛えられて、よい勉強になったと思います。
当時の先生は、特にシューマンに傾倒されていたようで、そのためか、シューマンのレッスンにおいては、ことのほか厳しかったように思います。
また、今から思い返してみますと、教育ということに全身全霊をささげられ、先生ご自身のプライヴェートな時間もなかったのでは、と思うほどでしたし、当時の先生は40代半ばだったと思いますが、今、私自身が同じように生徒に対してレッスンをしようと思っても、とても体力が持たないと思ってしまうほどです。
教育者として、心からご尊敬申し上げるべき恩師だと思います。
広瀬 康 先生(桐朋学園大学教授)
広瀬康先生との出会いは、たまたま仲の良い友人が副科で師事していたことから始まりました。今でこそ、ご多忙な先生ですが、当時はまだドイツから帰国されたばかりで、桐朋学園大学でも指導を始められたばかり、受け持たれていた生徒もピアノ科は2名、その他は副科という状態でした。その中の1人のヴァイオリンの友人から紹介され、最初は校内の廊下でお会いすればお話してくださるという程度でしたが、そのうちに先生の気さくなお人柄からか、外にお茶でも飲みながら・・・といったように親しくさせていただくようになりました。当時、私自身入学して間もないころでしたが、既にヨーロッパに行くことに憧れを持っていて、先生の留学時代の色々なエピソードを聞かせていただくのが楽しみでした。
その後、私自身にふとしたきっかけがあって、卒業まで待たずに留学することを思い始め、それを先生に相談させていただいたところ、ちょうど先生がヨーロッパで師事されていた先生が来日するとのこと、良い機会なので受講を勧められ、その準備のためということもあり、広瀬先生にレッスンをお願いすることとなりました。
初めてのレッスンから、私には驚きの連続でした。当時の私の演奏は、とにかく一生懸命に弾きすぎていたからだと思いますが、先生からテクニックも音楽も硬いといわれたのを憶えています。そして、色々なタッチの基本を細かく丁寧に教えていただきました。それは、それまで思いもよらない指や腕の使い方でした。そのようなタッチで弾いてくださる先生の演奏には豊かな表情やスケールの大きい絶妙な音楽の呼吸がありました。今でも忘れないのですが、「本当の芸術家に出会った!」と思える瞬間でした。
一方、私の方は、先生のおっしゃることや弾いてくださることを、自分なりに頭や耳で理解できても、実践することはとても難しく、先生の丁寧で忍耐強いご指導があって、遅まきながら吸収してゆく有様でした。
また、リサイタルをはじめ、先生のステージでの演奏を聴かせていただくことも多く、私にとって、それは大きな刺激であり、感動でした。
大学3年になったとき、留学の下見も兼ねて、ヨーロッパの国際コンクールに参加してみることを勧めてくださいました。思いもよらぬことに驚き、国際コンクールに対する不安もありましたが、何よりも憧れのヨーロッパということで前向きに考え、準備することになりました。約1年間の準備期間で、私自身の不安から何度もくじけそうになりましたが、いつも先生の励ましのおかげで乗り越えることができました。実際に現地においても、第1次予選に先生ご夫妻が旅行を兼ねて駆けつけてくださり、練習場においても、レッスンをしてくださったりと私にとって大変心強い存在で安心して本番に臨むことができました。
日本において、広瀬先生との出会いがあったからこそ、留学することができましたし、今となっては、ピアノという範囲を超えて、芸術家として人生を歩んでいくことの意味を教えていただきました。先生には心より感謝しております。