大野眞嗣
私の場合、留学することによって、「現代ピアノ奏法」と直接、出会うこととなりました。
帰国後、紆余曲折を経て、現在に至っています。
私の経験を基に、いくつか思うことを最後に、まとめに代えて、記しておきたいと思います。
まず、言葉の問題と留学に対する心がまえについてです。ドミトリー・バシキーロフとの出会いはこの上なく大きなことでした。ただ、残念なことは、それが私にとって母国語である日本語ではなく、また、先生にとっても母国語でないドイツ語でレッスンが行われたことです。
音楽は共通の言語であり、それによって理解し合える部分はありますが、実際にこのような奏法を身に付けるのには、相当な時間と労力が必要です。外国語が理解できるといっても、母国語に勝るものはありません。また、残念ながら、ご自身は素晴らしい演奏をなさっても、それを基本から教えてくださる方は少ないと思います。現に、モスクワ、その他の国に留学し、帰国しても全く演奏が変わっていない方もたくさんいると思います。
そんな中で、バシキーロフのような先生は貴重な存在と言えるでしょう。
私は、留学を考えている生徒たちに対して、まずは日本において、充分な時間をかけて、このようなピアニズムの基本を学ぶことを考えてほしいと思って指導しています。
留学すれば何とかなるといった考えは甘いのではないでしょうか。
現実は厳しいものです。現に私は膨大な時間をかけて、やっと現在までたどり着くことができたのです。留学したときには、私のように基本の部分で苦労をせずに、より内容の深い勉強をしてほしいと願っています。
次に、ピアノという楽器についてです。幸運にも私は良い楽器に出会うことができました。練習用に良い楽器は必要ないと考える方も少なくないようですが、繊細に反応してくれる楽器から教わることは多いと思います。ちょっとした音色の違いも、時には、ふとした偶然から発見できることもあります。
楽器に対して、理想をあげればきりがなく、また、高価になってしまいます。ですから、まずは自分の持っている楽器の表現の範囲を最大限に生かして練習することです。そして、いずれはその楽器を超える実力を身につけることです。
その次に思うのは、日本ほど便利で物があふれている国は少ないと思います。演奏会はもちろん、CDや映像が簡単に手に入り、たくさんの情報が簡単に手に入ります。私の場合、いろいろなCDはもちろんですが、特にエリソ・ヴィルサラーゼやグレゴリー・ソコロフそしてマルタ・アルゲリッチなどの映像から技術的な面を含めて、多くのものを学ぶことができました。それぞれの演奏をご存知の方は、疑問に感じられる方もいると思いますが、私は音楽的にも技術的にもたくさんの共通点があると思いました。一見、まったく違うスタイルの演奏、印象ですが、先に述べました「現代ピアノ奏法」、音楽上の「放物線」が存在しています。これは、私自身が驚き、思ってさえもいなかったのですが、ふとしたときに見えてきたことです。このように、レッスン以外からも、学ぶことができ、様々の情報から、学ぶことができるわけです。
1993年、私は勉強の途中で帰国することになりました。まだまだ、わからないことだらけの状態でした。そこから、現在に至るまで研究を続けてきて、ここまで、記してきたような、結論に達することができました。言うまでもなく、私を指導してくださった先生方、私とともに音楽を学んだ人たち、そして私の生徒たちから多くのものを得ることができました。これらの人たちや私の家族に、ここで感謝の気持ちを表しておきたいと思います。
まだまだ、筆力不足で不充分な点もあり、研究が足りないところもあることは自覚しています。新たに私の研究をまとめ、次の機会に発表することを期したいと思います。