大野眞嗣
(1)良い音とは?
一般的に演奏上の基礎とされているのは、しっかりとした指の動きの鍛錬によって、たちあがりがはっきりとした太い音で粒が揃っているのが良いとされています。確かに楽譜に書いてある音符をある意味において正確に表現するためには有効です。しかし、このようなタッチで実際に作品を弾いてしまうと指の訓練、例えばハノン教則本やチェルニーの練習曲を弾くのと同じタッチになり、表現の幅がせまくなってしまいます。音色と言うよりも強弱のみの変化にたよることとなり、特にロマン派以降の作品に要求されるような多彩な表現は不可能であると断言できます。
そして、粒を揃えると言うことも、確かに大事な要素の1つではありますが、本来の音楽的表現と言うものを考える時、私はどうしてもなじめないものを感じてしまいます。
それでは、それぞれの作品に応じた多彩な音楽的表現を実現するためにはどうするべきでしょうか?
ここでは指と耳との関連が重要となります。
まず、はっきりとした太い音が良い音という概念を捨てることから始めましょう。
そもそも、人間の五感において、耳の発達が一番遅れているとされ、ソルフェージュによって正しい音程や長さを判別する訓練はされていますが、音色といった、より抽象的な領域までには及んでいないように思います。はっきりとした太い音が良い音と感じてしまうのは、あくまでも音の鳴る瞬間のみにこだわって耳を使っているためだと思います。もし、本当にピアノという、すぐに音が減衰してしまう楽器でレガートを実現しようとするならば、音の鳴る瞬間よりも、その後の響きを聴く事が重要です。
(2)打鍵の基本
この響きを豊かにする、伸びのある響きを出すためには、打鍵した瞬間に腕の重みを肘で逃がすのではなく、手首で逃がすことです。
人は響かそうと思うと、無意識のうちに鍵盤の底をしっかりと押さえつける傾向にありますが、これはむしろ、響きの観点から言うと全く逆の行為です。それよりも、打鍵した瞬間に素早く鍵盤の底から腕の重みを逃がすことが重要で、そのためには肘で逃がすより手首を鍵盤の奥の方向にほんの少し移動させて逃がすことにより、たちあがりの音よりもそのすぐ後の響き、音の伸びが出てくることとなります。この際、危険なのは、脱力が遅くなると、伸びのない突いただけの音になってしまいます。
私のレッスンの場合、指の代わりに鉛筆を使うことがあります。指の関節を気にするあまりに手首の脱力に集中できないからです。鉛筆を短く持って、手首の脱力のタイミングを探すのです。この音の伸び方の変化と空間を3次元的に耳で追うことが重要です。
もうひとつは、指の付け根から打鍵するという感覚で弾いてしまうと、鍵盤を押さえつけてしまうことにつながりやすいと思います。
ここで大切なことは、指の付け根が、あたかも手首にあるかのように意識して打鍵することです。そうすることによって、手首も指も固まらずに、腕の重みを瞬時に指に伝え、手首で抜くことが可能になります。
それに加えて、指の支点を指の付け根の関節の内側に保つために、手のひら全体が、いつも鍵盤を覆うような感覚を保つことが大切です。それが、次の打鍵のための無駄のない指の準備となり、合理的なことであると思います。支点を手のひらの中から逃して、外に(指の方)に出してしまうと手のひら全体の安定感が得られません。