大野眞嗣
(1)ドメニコ・スカルラッティ |
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スカルラッティとJ.S.バッハは同じバロックの作曲家として認識されていますが、それぞれの個性は明確に違います。 まず、スカルラッティを弾いていて感じられことは、物悲しさです。 また、彼は当時の鍵盤楽器の音響というものに対する感覚が非常に優れていたように思います。彼の作品からは斬新な演奏技法、音響効果が感じられ、演奏者はそれを感じ取ることが重要です。 当時の鍵盤楽器のことを考えると、腕の重さを乗せることはまれで、比較的軽いタッチで奏しますが、石造りの城の中で作曲をしたということが感じられるような、広い空間に響き渡る音色をイメージすることが大切です。明るいのに悲しく響く音色、微笑んでいるのに瞳は涙で潤んでいる音色をイメージします。 基本はノン・レガートで奏しますが、しっとりと歌うレガートで奏すべきほうが良い作品も存在します。そこには、それを表現するためにも、過度にならないダンパー・ペダルも当然のことながら必要です。 |
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(2)ヨハン・セバスティアン・バッハ |
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J.S.バッハは、私が言うまでもなく、一生をキリスト教の信仰と深くかかわって生きた作曲家です。そのためか、スカルラッティとは対照的に信仰に支えられた、深い愛情、人生に対する倫理的な理解、心身の安定感を感じます。 意見の分かれるところは、当時の楽器を考慮して奏するべきか、現代の楽器を生かして奏するべきかということです。私が感じるには、日本においては、どちらかというと、当時の楽器を意識する傾向が強いように思います。また、キリスト教という宗教のイメージも重なって、まるで禁欲的に演奏する傾向が強いように思います。大変難しい問題で、私自身の考えがまとまるまでには非常に長い時間が必要でした。 彼は鍵盤楽器のためだけではなく、いろいろな楽器のために作品を残しました。不思議なことに、どの作品も、どの楽器で弾いてもおかしくないといわれるような、作風になっています。鍵盤楽器のための作品の量も膨大で、作品により、チェンバロであったり、オルガンであったりと、連想される鍵盤楽器が違います。また、作品によっては、特にトッカータに代表されるように、実際に彼自身が即興で演奏し、そのように弾くべき要素の作品もあります。 「平均律クラヴィーア曲集 全 II 巻」は、教育的目的で作曲されたといわれています。実際に日本においての入学試験から多くの国際コンクールの課題に取り上げられるほど、重要な位置を占めています。私自身、全48曲のプレリュードとフーガを弾いてみて感じられるようになったことは、ひとつひとつの作品が彼の心の中の日記のように感じられるようになったことです。そこには、作品によって、連想される鍵盤楽器の違い、それぞれの調性に合った作風から、最終的には、彼自身の考え、感性が表現されており、実は非常に人間的でロマンティックな要素が強く感じられます。「人生とはこのようなものだ!」という人間の喜びも悲しみも包み込むような宗教観に基づいたメッセージのようなものと受け取っています。 演奏する上で大切に考えていることは、重みの感じられる深い響き、そして、健全な強い意志を持った響きです。当時の様式観を考えると、ノン・レガートが多用されますが、ケルンの大聖堂を想わせるような広がりのある重厚な響きに支えられたレガートも必要だと思います。そのためには、ある程度の腕の重みを乗せたタッチで奏し、言うまでもなくダンパー・ペダルも必要になります。例えば、4声体の重厚なフーガの場合、それぞれのテーマは大切ではありますが、テーマをただ大きく目立たせるだけでは本来のフーガにはなりません。ここでは、4人の歌手がそれぞれの声部で自然な音楽のラインを作り上げるというように考えます。ある声部が、たとえ、テーマでなかったとしても、音楽の横の流れから重要な部分だとすればテーマと同じような主張を持って奏しても良いのではないでしょうか。ただ、ゼクエンツの部分などは様式的にテラッセン・デュナミークという、ある程度まとまったユニットで音楽を捉えることも重要です。 あと、これは不思議なことで、人間の耳の錯覚といっても良いのですが、例えば、全音符や2分音符のように比較的長く伸ばす音と8分音符や16分音符のような速く動きのある声部が同時に存在するときに、長い音を大きめに、短い音を小さめに奏したほうが、バランスよく聴こえるはずです。 また、先にも述べました、トッカータのような作品、もしくは部分では、自由な発想が要求されます。作曲者自身、即興の名手だったように、このような作品では、テンポをしっかりとカウントできるような演奏であってはならない部分もあります。いかにも、今そこで、自分自身が即興で弾いているかのごとくに、自由な演奏をするべきでしょう。 |
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*イラストは、瀧澤宗史氏の作品です。