大野眞嗣
(2)ヨーゼフ・ハイドン |
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ハイドンの特徴は、まず、当時の鍵盤楽器の性能、音響効果を知り尽くしていたことだと思います。 無駄のない、少ない音の組み合わせで、最も美しく鳴り響くことです。実際に弾いてみると、音と音とが共鳴しあい、予想以上の音響効果を作り上げています。バロック時代のスカルラッティも同様でしたが、このような作曲家の作品を弾いてみて感じることがあります。 例えば、左手の音を1として、右手の音も1とします。両手で弾くと1に1を足すことになり、必然的に1+1=2になるべきところ、実際は2以上の響きができあがるのです。1+1=2プラスαときには∞(無限大)となる可能性もあります。反対に楽器特有の性能に無頓着な作曲家は、1+1=2でしかなく、場合によっては、それ以下の響きに感じてしまうこともあります。 もうひとつの大きな特徴は、音楽上の発想の豊かさと演劇的なところです。作品の構成が斬新でアイデアに富み、奏者はその作品の主人公であり演出家、もしくは舞台監督になるのです。ですから、主観的な感覚と客観的な感覚のバランスが求められます。音だけで語られる演劇をどう演出するか?ということが難しくもあり、興味深いところです。 そして、弦楽器、管楽器、声楽の感覚を演奏に取り入れるのはもちろんですが、作品によっては、あくまでも当時の鍵盤楽器の発想として書かれたように感じるものもあります。 私自身の音色に対する感覚は、軽快さと華やかさです。比較的しまった音、もしくは凝縮された音が合っているように思います。そのためには、指先は比較的丸く構え、しかも、指先が鍵盤に触れる面積を最小限にするよう気をつけます。それは、バレエ・ダンサーが、足のつま先の1点で体を支えることに似ています。その際、指が力んでしまうと華やかな響きが出てきませんので、指の中が空洞になっていること、または、指の内側の表面の筋肉だけで支えるイメージで脱力をします。 |
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(3)ルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン |
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ベートーヴェンの作品に対しては、何か「立ち向かう」という感覚が浮かんできます。それは、隅々まで計算されたブロックを構築してゆく感覚です。ですから、奏者は、即興的な要素を排除して、設計図が見えてくるような演奏を心がけるべきです。作品にもよりますが、古典ならではの様式、ヨーロッパの庭園を思わせるような、整った美しさの中に、彼の思考と感性が音になって描かれています。それは、彼の心情を訴えた個人的なものから、壮大な宇宙的規模の作品まで千差万別に存在します。 一般的に、特に交響曲で才能を開花させたように受け取られていると思いますが、私個人の感覚としては、ピアノソナタを弾く限り、まず、弦楽四重奏曲がイメージされます。 実は、彼の音楽の基本は弦楽四重奏曲の発想にあったように感じるのです。そこから、規模を大きくした交響曲、もしくは、小さくしたピアノソナタの存在があると思います。ですから、弦楽器特有の音楽上の流れ、ニュアンスを考え、それをピアノに置き換えて、演奏するべきだと思います。もし、ベートーヴェンをより理解したいという方には、私個人としては、弦楽四重奏曲を聴くことを、お勧めします。中でも後期の作品を聴いていると、ピアノソナタにおいて到達した以上の彼の心の境地を実感できるはずです。 また、強拍を特に意識して演奏するべきことが特徴の1つとしてあげられます。それが、たとえ休止符であっても同様です。このことは、本来、演奏の基本として当たり前のことですが、実は、作曲家や作品によっては、弱拍から強拍へつなげるという感覚で意識するほうが良いと感じられることもあり、その観点で捉えた場合、ベートーヴェンは、明らかに強拍が大切になる作曲家です。ドイツ語の場合、アクセントの位置が最初の母音にあるのが基本ですが、それに似ているように感じます。 また、作られた時代により、作風も色彩感も、まったく違いますので、単純には申し上げられませんが、基本的にイメージする音色は、深み、重み、濃い色彩感が感じられます。特に中期の作品以降、表現は拡大されてゆきますので、上腕の重みから乗せることを意識し、指先は鍵盤にもたれてゆきます。 この、もたれるという感覚は、押さえつけることと混同しやすいと思います。それを実践するためには、指の支える筋力も強くならねばならず、大変難しいのですが、重みをかけながら、指そのものの脱力、手首で重みを逃がすことが重要です。 |
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*イラストは、瀧澤宗史氏の作品です。